新しい事務所に、古い木造アパートを選んでしまった。
私が木造アパートを借りるのは、実に30年以上ぶりのことだ。
楽しみでもあるし、不安でもある。
私が初めて木造アパートの一室を借りたのは、大学へ入学したときだ。
生まれ育った地方都市から大都会に出てきた私の最初の選択肢。
それが住まい探しだった。
どうせ寝るだけ、それなら安ければ安いほどいい。
家賃だけで決めた。
たしか、実際に物件を見に行ってもない。
古い古い木造アパートだった。
私の借りた部屋は、二階の一番奥の部屋。
そのアパートは、一階二階にそれぞれ10部屋くらい、合計20部屋はあったと思う。
私のとなりの部屋と、そのとなりの部屋と、そのまたとなりの部屋の合計3部屋を、たしか4人家族が借りて住んでいたことを覚えてる。
生活音や声が丸聞こえだったから、家族構成や暮らしぶりはすぐにわかった。
夕方になったら「ごはんよ~」という声が響き、居間に使ってた部屋に集合していた。
あとはどんな住人がいたか覚えていない。
でも、だれとも会った記憶がないから、ひょっとしたら空き部屋が多かったのかもしれない。
いや違うな、入り口に自転車が10台くらいはあった気がする。
直すならご自分でどうぞ。そして一年後の立ち退き要請
この古い木造アパート、昭和だった当時でも、とにかく古かった。
えらいところに入ってしまったと思ったのは最初だけ。
すぐに慣れた。
「住めば都」とはこのことか。
住んでみなけりゃわからない。
私が今度の古アパート事務所を気軽に借りたのは、この昔の体験によるところも大きい。
そしてこの学生時代の古アパートで、忘れられない思い出がふたつある。
それは、窓ガラスと立ち退き要請だ。
最初から割れていた窓ガラス。直したいならご自分でどうぞ
この古いアパート、一階の入り口に管理人さんが住んでいた。
大家さんだったのかもしれない。
毎月家賃を現金で持って行って、ハンコを押してもらっていた。
ラジオ体操の出席ハンコみたいなものだ(←今もあるのかな?)。
引越し当日、管理人さんだか大家さんに挨拶を済ませて、始めて部屋に入った。
あまりの古さにおどろいた。
窓は当然木製。
一枚の窓が障子のように九つに分かれていて、その一枚一枚にガラスが入っていた。
透明ガラスからスリガラス、模様の入ったガラスとバラバラなのはまあいい。
そのうち何枚かは割れていて、セロハンテープで補修(?)してある。
こちとら保証金だったか礼金だったかを払って入居してる身だ。
管理人さんに直して欲しいとお願いに行く。
「直したいんでしたら、ご自分でどうぞ。」
おお、そういうシステムもあるのか、と初めて知った世間知らずの未成年の私。
セロハンテープだけではあまりに心もとないので、どこかから拾ってきた板を貼ったかな。
直してもらえないのなら、自分で好きに直すよ。
いろいろ好きにしてもいいんだな?
今度の古アパート事務所だって、常識の範囲だったら大丈夫だよね?
一年後の退去要請。一年間は家賃タダでいいから出てってくれ
他人を部屋に呼ぶ気にはなれないが、私ひとりで暮らすならここでいい。
ずっとここでいいかな、と思い始めた一年後、事件は突然起きるものだ。
たしか文書でその連絡は来た。
「このアパートは一年後に取り壊す。今月から家賃はいらないからそれまでに出てってね。」
そんな内容だったと思う。
取り壊すのなら仕方がない。
一年間、家賃タダだからラッキー!くらいに思った。
となりから3部屋続けて借りてた家族と、初めて話をしたのもこの時。
こんな勝手を許してなるものか、兄ちゃん一緒に戦おうと言ってきた。
当時まだ若かった私だが、そこは今と変わらぬ私らしい私だ。
話を合わせ、うまいこと言ってごまかしながら、一年後に引っ越した。
賃貸物件、とりわけ古い木造アパートは永遠ではない。
今度借りる古アパート事務所も、そんなに長くはないだろう、と勝手に思っている。