牛丼の吉野家の思い出。昭和50年代後半から40年のお付き合い

昨日の昼は、牛丼の吉野家を行ってきた。

事務所でお湯が沸かせるようになり、昼食難民ではなくなった私だ。
毎日カップラーメンざんまいと思っていたが、意外とそうでもない。

先日の記事、「昼食難民どこへ行く(その2)」の続きです。 IH調理器で使える鍋が手に入らなかった私は、失意のままコンビニおにぎ...

昼にカップラーメンを食べるのは週イチか、せいぜい週二くらい。

いつでも食べられるという安心感か、気軽にコンビニや吉野家へも行く。

(まあ、この2か所のどちらかだが・・・)

いつでも行ける

私は、基本的には吉野家以外の飲食店に入れない。

あと少し遠いが、ラーメン屋1件とカツカレー屋1件にも入ることができる。

おっと、牛丼屋なら松屋でもすき家でも入れるな。

これが私がひとりぼっちで外食できる、ほぼすべてだ。

牛丼の並しか食べない。昔からこれだけでいい

「吉野家なら入れる」などと、えらそうに語ってしまったが、いつでも入れるわけではない。

混んでたら入らない。
正確には、入れない。

その辺をウロウロして、お客さんが減ってきたスキに入る。

待った甲斐がある

店に入っても、メニューは見ない。

水が出てきたらひと言、「牛丼の並」。
これ以外は、いっさい言葉を発しない。

人付き合いの苦手な、むかし昼食難民だった私の憩いのオアシスだ。

独立開業のフリを始めた私だが、思ってもみなかった問題に直面している。 「昼食難民」 「ランチ難民」とも呼ばれている。 昼休...

牛丼を食べながら遠い昔を思い出す。40年の付き合いだから

私が初めて吉野家に入ったのは、忘れもしない18歳の春。
すでに40年近く前。

大学に入学した年に、都会へ出てきた翌日だ。

変わっていても気付かない

私の生まれた地方都市には吉野家がなかった。

うわさに聞いていた「牛丼の吉野家」。
一度は食べたかった「吉野家の牛丼」。

そのあこがれの味が、私の住んだアパートから歩いて3分ほどの距離にあった。

3日間限定の100円引きセール。牛丼並は350円→250円に

初めて見た吉野家は、私がひとり暮らしを始めた翌日から100円引きセールを始めた。

まるで、私が来るのを待っていたかのように。

個人情報だぞ

そこまでされたら行かねばなるまい。

翌日、朝昼晩、牛丼の並。
2日目朝昼晩、牛丼の並。
3日目朝昼晩、牛丼の並。

9食連続で牛丼の並×250円で、2,250円なり。
昭和の話だから消費税など、ない。

こうして私の都会生活(大学生活ね)は、吉野家の牛丼とともに始まった。

時は昭和50年代後半。

それより少し前に、吉野家は会社更生法の適用を申請し倒産したらしい。
更生計画が認可され、再建に乗り出していたことなど知る由もなかった。

真偽不明です。

知っていても何もしなかったけどね。

当時のメニューは今でも覚えている。たぶんこれで合っている

牛丼(並)350円
牛丼(大)450円

牛皿(並)300円
牛皿(大)400円
ご飯   100円

玉子    50円
お新香   50円

以上、これだけだ。

朝定食の登場は、もうしばらく後だ。
牛丼ではなく、牛皿とご飯を頼むやつはセレブと呼ばれていた。
「ご飯」は違う名前だったかもしれない。

この「ご飯」というメニューは、しばらくして私の前から姿を消した。

お金のなかった私や私の友人のせいではないと信じたい。
100円ご飯に、無料の紅ショウガと七味を大量にかけて食べていた。

牛皿(並)300円
牛皿(大)400円
(プラス100円で、ご飯をお付けいたします)

メニューが変わり、ご飯だけの注文ができなくなってしまっていた。

私はお金がなかったら、バイトより食費を削る方を選んでいたというのに。

吉野家だけが心の支え

平成に入り、吉野家もいろいろなことがあった。

低価格路線に走ったり、牛丼販売の一時休止に追い込まれたこともあった。
それよりも、ず~っと昔の、私が若かったころの昭和の吉野家の話でした。

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