昨日の昼は、牛丼の吉野家を行ってきた。
事務所でお湯が沸かせるようになり、昼食難民ではなくなった私だ。
毎日カップラーメンざんまいと思っていたが、意外とそうでもない。
昼にカップラーメンを食べるのは週イチか、せいぜい週二くらい。
いつでも食べられるという安心感か、気軽にコンビニや吉野家へも行く。
(まあ、この2か所のどちらかだが・・・)
私は、基本的には吉野家以外の飲食店に入れない。
あと少し遠いが、ラーメン屋1件とカツカレー屋1件にも入ることができる。
おっと、牛丼屋なら松屋でもすき家でも入れるな。
これが私がひとりぼっちで外食できる、ほぼすべてだ。
牛丼の並しか食べない。昔からこれだけでいい
「吉野家なら入れる」などと、えらそうに語ってしまったが、いつでも入れるわけではない。
混んでたら入らない。
正確には、入れない。
その辺をウロウロして、お客さんが減ってきたスキに入る。
店に入っても、メニューは見ない。
水が出てきたらひと言、「牛丼の並」。
これ以外は、いっさい言葉を発しない。
人付き合いの苦手な、むかし昼食難民だった私の憩いのオアシスだ。
牛丼を食べながら遠い昔を思い出す。40年の付き合いだから
私が初めて吉野家に入ったのは、忘れもしない18歳の春。
すでに40年近く前。
大学に入学した年に、都会へ出てきた翌日だ。
私の生まれた地方都市には吉野家がなかった。
うわさに聞いていた「牛丼の吉野家」。
一度は食べたかった「吉野家の牛丼」。
そのあこがれの味が、私の住んだアパートから歩いて3分ほどの距離にあった。
3日間限定の100円引きセール。牛丼並は350円→250円に
初めて見た吉野家は、私がひとり暮らしを始めた翌日から100円引きセールを始めた。
まるで、私が来るのを待っていたかのように。
そこまでされたら行かねばなるまい。
翌日、朝昼晩、牛丼の並。
2日目朝昼晩、牛丼の並。
3日目朝昼晩、牛丼の並。
9食連続で牛丼の並×250円で、2,250円なり。
昭和の話だから消費税など、ない。
こうして私の都会生活(大学生活ね)は、吉野家の牛丼とともに始まった。
時は昭和50年代後半。
それより少し前に、吉野家は会社更生法の適用を申請し倒産したらしい。
更生計画が認可され、再建に乗り出していたことなど知る由もなかった。
知っていても何もしなかったけどね。
当時のメニューは今でも覚えている。たぶんこれで合っている
牛丼(並)350円
牛丼(大)450円
牛皿(並)300円
牛皿(大)400円
ご飯 100円
玉子 50円
お新香 50円
以上、これだけだ。
朝定食の登場は、もうしばらく後だ。
牛丼ではなく、牛皿とご飯を頼むやつはセレブと呼ばれていた。
「ご飯」は違う名前だったかもしれない。
この「ご飯」というメニューは、しばらくして私の前から姿を消した。
お金のなかった私や私の友人のせいではないと信じたい。
100円ご飯に、無料の紅ショウガと七味を大量にかけて食べていた。
牛皿(並)300円
牛皿(大)400円
(プラス100円で、ご飯をお付けいたします)
メニューが変わり、ご飯だけの注文ができなくなってしまっていた。
私はお金がなかったら、バイトより食費を削る方を選んでいたというのに。
平成に入り、吉野家もいろいろなことがあった。
低価格路線に走ったり、牛丼販売の一時休止に追い込まれたこともあった。
それよりも、ず~っと昔の、私が若かったころの昭和の吉野家の話でした。